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AUTOCULT オートカルト 7020 1/43 EMW R3/55 1955 メタリックシルバー

型番 7020
定価 19,800円(税込)

■商品名:AUTOCULT 1/43 EMW R3/55 1955 メタリックシルバー
■スケール:1/43
■年代:1955
世界限定333台
お取り寄せ
※売り切れの際はご了承願います。

1950年代、国際的なレースでの勝利は社会主義国とくに東ドイツの優れた達人たちにとって大きな夢の実現であった。

しかしながらそのようなことは起こらなかった、たとえ膨大な努力がなされていたとしても。

1951年初頭、東ドイツ当局はレース専門チームを作り、その夢を実現するため行動を始めた。

完成車`R1`は1952年ベルリンでのレースAVUSで優勝することでその方針が間違っていないことを証明した。

その次の年、レース専門チームはアイゼナハでEMWの生産に加わり、夢実現のための行動は続いた。

それ以来、競争力のある138馬力、最新の1.5L、6気筒のDOHCエンジンで、新しいシャシーと流線形の車体の新しいレーシングカーの開発に焦点が置かれた。

EMWレースチームは、一度だけ世界選手権レース「ドイツグランプリ」に参戦し世界のエリートレーサーと争った。

1954年5月16日アーサー・ローゼンハマーのナショナルレーシングシリーズのシーズンは「ライプツィヒ・シティ・レース」優勝で始まった。

世界最高速度は、国際的に認められた10マイルの距離で、平均時速229.5kmが記録された。

しかし彼らは成功しても休むことなく、次のシーズンが始まるまで、技術と空気力学を改善するために協力した。

彼らはさらに4台のレーシングカーを完成させ、1955年のシーズンのスタート時使用に間に合わせた。

たとえそのレースの年が成功していたとしても、政治的事情でチームは1956年に終焉を迎えた。

1956年9月23日に西ドイツの国民はデッサウサーキットでそれらのレーシングカーが最後に周回する様子を寂しい気持ちで見守ったのだった。

そのうちの一台はアイゼナハ世界自動車博物館で見ることが出来る。

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